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2009年_第1回定例会(第3日目)政治倫理条例についての討論 (2009.03.06) |
◎【9番陣内泰子議員】 それでは、市民自治の会の陣内泰子、議員提出議案第1号に対して反対、そして議員提出議案第15号に対して賛成の立場から討論を行います。 ただいま第1号議案の問題点は適切に指摘されてきております。対象となる範囲が2親等ではなく1親等になっている点、親族企業は市との契約を辞退ではなく、自粛するよう努めなければならないとなっている点、さらに何をもって自粛とするのか規定されていないなどです。兼職・兼業の報告を必要とせず、また議員の資産公開に関する規定もありません。 私は議員提出議案1号が─自公案です─なぜこういった欠陥のある条例となっているのか。そしてまた、なぜ欠陥のある条例でいいとしているのか、そういった背景について少し述べてみたいと思います。 まず、提案議員のうち自民党新政会の方々は、この条例は理念条例だと強調しています。つまり、限りなく議員や市長としての心構えの問題、心の問題であると言うのです。そのことは委員会質疑の折に、倫理とは何かというような問いが発せられたことからもわかります。しかし、市民が求め、また私たちが求め、そして市政の透明性、公平性を担保するために必要なのは心構えではなく、政治腐敗を起こさないという確たる約束を示せるものでなければならないのです。 そして、なぜ政治腐敗防止に対する文言がないのかという問いに対しては、提出者は皆選挙で選ばれ、洗礼を受けた立派な議員で間違いを犯さないという市民の信託があるので理念条例でいい。時々、忘れたらそれを見ながら自分を律してやっていこう、そういうものだという御答弁でした。選挙で選ばれた議員や首長は聖人ではありません。聖人みたいに間違いを犯すことはない、何を根拠にしてこのような自信なのかわかりませんが、そう思っていらっしゃるわけです。 では、なぜ首長や議員がかかわる口ききや癒着、談合などの事件が起こるのでしょうか。提案者たちは、そういう人たちと八王子の議員や市長は違う、そう言うのでしょうか。そこで思うのですが、提案者の方々は、自分たちは何も悪いことをしていないので規制するような条例は要らない、そう言っていらっしゃいます。自分は何も問題あるようなことはしていない、だから倫理条例は要らない。でも、これは勘違いです。条例というのは、何か特定の個人を排除したり、また攻撃したりするものではありません。再三、いろいろな折に説明しているように、転ばぬ先の杖として10年、20年先までをも見通し、八王子の行政や議会の透明性や公平性が確保されるようにしようというものであります。また、市民にとって信頼に足るものでなければならないのは言うまでもありません。そして、こういった条例の位置づけを考えるのであれば、条例は客観的な評価に耐えるものであり、かつ実効性があるものでなければならないということも言うまでもないことです。 例えば、選挙に当選しているのだから汚職などしませんと言っても、その人に投票しなかった人にとっては何も意味のないことです。説得力もありません。だから、選挙というハードルにプラスして、だれが見ても、そうだ、汚職などしないということがわかるようにすることが必要になってくるのであります。なぜならば、税金という市民からの貴重な財の配分を決めることに関与する立場にあるからです。第1号議案提出者は、残念ながらこのことがおわかりになっていないのではないでしょうか。 その1つの例として、いろいろな御発言の中で、1年間にいろいろな入札があって契約がある。私どもはそれを1つ1つチェックしてしているわけではない。それらは皆適正に行われている。入札が始まってしまえば、条件や何かについては私どもが市民の代表としてこういった条件でやった方がいいのではないか、そういった意見は申し上げますが、その結果については、私どもは出た結果を粛々と受けとめる、そのように考えております。こういうくだりがありました。これは、議会は必要ないと言っているようなものではないのでしょうか。チェックする立場をどう理解されているのか、まさに理解に苦しむ発言でした。 次に、今、八王子が抱えている問題をどう理解しているのかということの違いが大きくあります。 自公案、第1号議案の提案説明者は、親族会社の受注高が多いといっても、くじ引きがある。その分を引けば問題はないというような発言でした。そうでしょうか。市民の目から見れば、あそこの工事も親族企業の看板が出ている。ここも、あそこもということが見えるわけです。そういうことを目にした市民の方はどう思うでしょうか。何かおかしいのではないかと思っても不思議ではないと思います。ある意味、市長が公共事業を行う建設会社と親族関係にあるという事実は、市長から見れば、ただ血がつながっているだけという御認識でありましょう。しかし、市民はそう思わないわけです。そのとき、御自分で幾ら倫理観が高い人間だとおっしゃっても、それは説得力がありません。 評価というものは自分で言うのではなく、他の人が評価して初めて説得力を持つものですし、またある意味で人の評価というのも非常に恣意的なものでもあります。だから、だれが見ても倫理性が高い、信頼できるということがわかるようにするためにも、そのことを判断する基準が必要です。市民は、首長や議員にいい人であることを求めているのではなく、公正であることを求めているのです。何に対しての公正かと言えば、もちろん税に対する公平性であります。だから、受注高が多い、それも連続してということは、くじ引きなのかどうかということを知るところにいない市民から見れば、著しく税の公平性が脅かされているような感じを抱くのではないでしょうか。ましてや、その親族企業の株を多数所有し、配当利益を得ていたということは、御本人がどう思おうと親族企業と市長との間に利益関係があるということでもあります。 また、ビラを配ったり、駅頭でしゃべったりするからだ、そのような御意見もあるやに思われます。でも、これは寝た子を起こすな的な発想ではないでしょうか。ビラや訴えが市民の皆さんが常日ごろ漠然と抱いている、はてな、それにフィットしたからこそ、多くの市民が関心を持ち、議会に足を運び、集会で意見を発表したりしてきたわけです。マスコミも各紙合わせて約80回以上も記事にしてきたということでも、市民の関心の高さを伺うことができます。 まとめます。 第1号議案提案者を初め賛同者の方々は、質疑の中で多少のニュアンスの違いはあるように見受けるのですが、兄が発注して弟が受注するという八王子固有の問題に対する危機意識がないとする立場か、あえて問題にしないようにするという立場であることがはっきりしてきました。こういった矛盾の産物が対象親族を1親等にし、また自粛に対して何らの実効性をも欠くものとなっているのです。 この条例は、自公が提出いたしました第1号議案は、3月5日の読売新聞で九州大学の斎藤文男先生から、拘束力がなく、中身も空疎で、政治倫理の名に値しない。また、自治体議会改革フォーラム代表で法政大学の廣瀬克哉先生からは、解決策ではなく、現状を容認し、お墨つきを与えるだけの条例と、大変手厳しく評価されました。市民の会から御提供いただきました斎藤先生による採点は100点満点中、この自公案は30点であり、この第1号議案が条例として八王子市議会史上に記されることを恥ずかしく思うことを申し添えて、反対討論といたします。 <ページトップへ> |