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■ 第2回定例議会提出議案反対討論 (税制改正について、国民保護計画について) |
<要旨> 1.税制改正について 2.国民保護計画について |
【9番陣内泰子議員】 それでは、第52号議案、八王子市市税賦課徴収条例の一部を改正する条例設定についてに対する反対討論を行います。 この条例改正は、地方税制改正による所得税から個人住民税への税源移譲に伴うもので、個人住民税のフラット化並びに定率減税の廃止、これは現在、所得税においては20%、住民税においては15%の減税がなされているわけですが、その廃止などを設定しています。 定率減税の廃止についての問題点を指摘いたします。 この定率減税は、恒久的な減税を行うとして1999年3月から実施となったものです。その目的は、景気に最大限配慮するものというもので、最高税率の引き 下げ、これは所得税、住民税そして法人税を対象としています。そして、さらに定率減税、扶養控除額の加算、この三位一体であったと理解しているところで す。 しかしながら、今日、経済状況が好転しているとの理由で、ことし、この定率減税が2分の1に縮減され、さらに来年には廃止されるというもの です。つまり、定率減税だけが廃止され、最高税率の引き下げ、つまり所得税や法人税の最高税率の引き下げは、そのまま本則として残っています。景気の回復 してきた金融を初めとした法人や、不景気の影響を受けにくい高額所得者への減税措置はそのままということです。これでは格差はより一層広がるものとなりま す。 格差社会については、この間、さまざま議論がされてきています。他の議員から、OECDが発表した貧困率のことについては、既に指摘されて いるところです。私も議会リポート等でこの貧困率については詳しく説明しておりますが、ここで簡単に言うならば、日本の今の所得状況というのは、日本の平 均所得の半分以下、つまり2002年度で言えば238万円以下の所得の人が15.3%いるということです。そして、この割合は10年前に比べて2倍になっ ているということ。そして、この数値はアメリカに次いで先進国では2番目に高いというものであるわけです。フランス、ドイツ、ベルギー、デンマークなど は、当初、所得の貧困率は日本より高いにもかかわらず、政治の役割である所得の再配分においてそれを是正しているところです。 今日の地方税制の 改正は、こういった貧困率を改善するものではなく、一層格差を推し進めているものとなっていることは、最高税率の引き下げ、法人税の引き下げがそのままに なっていることから見れば明らかで、国際化並みといった説明はトータルな国際平均化を意味するものではなく、その意味で合理的説明を欠いていると言えま す。 所得の最高税率は、1998年時点では3,000万円以上の課税所得額に対しては50%だったものが、1999年の恒久的減税の導入によ り、1,800万円の課税所得に対して37%に減額、減税されたものです。また、税率の刻みも5段階から4段階になっています。これでは累進税的な色合い がなくなるのも当然です。1974年当初は所得税の最高税率は75%、段階も19段階ときめ細かく区分されていました。1988年当初においても、所得額 と住民税を合わせた最高税率は76%。それなりに所得再配分の機能を果たしていたと言えるわけですが、1999年からは最高税率や、そこに分布する課税所 得額を大きく引き下げ、また定率減税の導入によって中間所得層の不満の懐柔をしていたと言えるわけです。 さらに、法人税においても38%から 34.5%、そして1999年には30%です。定率減税の廃止が経済状況の改善と言うなら、当然、こういった最高税率の引き下げについても、もとに戻すと いった同様の措置をとってしかるべきです。バランスをとるためという理由は、政府自身がほごにしていると言えます。 昨年は、公的年金控除の減 額、そして老年者控除の廃止が行われました。その影響について、先日の新聞でも、ちょうど納税時期に当たり、高齢者を中心にその増額に多くの不安の声が納 税課窓口に寄せられていると報じています。そして、今度は定率減税の廃止で、中間所得層にも大きな影響が出ることは必至です。そしてその一方で、日本の億 万長者が7万人にふえたと、きのうの朝日新聞は報じています。持てるものはより持てるようになっていく。その仕組みを国がつくっているわけです。そのよう なことから、この定率減税の一方的な廃止、それを決して認めるわけにはいきません。 次いで、第54号議案、災害派遣手当支給に関する条例の一部を改正する条例設定について、反対討論を行います。 詳しくはさきの議員から述べられております。これは、武力攻撃事態法に規定された国民保護法に基づく条例変更であるわけです。 国民保護法に基づく国民保護計画に関しては、法令事務として実施するとの3月議会での答弁ではありましたが、私はこの計画の非現実性、そして日本を戦争を辞さない国にする準備であると指摘して、協議会設置に反対いたしました。 その後、三多摩26市の状況を調査したところ、多摩、立川、国立、東村山、東大和市で協議会条例が制定されておらず、また西東京市では継続審議となってい るところです。この計画については、このように住民を守る立場の自治体として独自の判断もできるということをまず御認識いただきたいと思います。 そして、国民保護計画については、1点だけ指摘させていただきます。 今、北朝鮮による長距離弾道ミサイル、テポドンについての報道が新聞等でなされています。この記事を読んで、だから我が国も武力事態に備えて準備しなけれ ばならない。国民保護計画が急がれなければならないと思う人も多いのではないでしょうか。こういった心象に関して、仏文学者でネオソフトナショナリスト ──どういう人をいうのかよくわかりませんが、そういうふうに自称しているわけで、内田樹氏は、国防の喫緊であることを説く説が人々の注目を浴びるために は、一番効果的な方法として、危機をあおることであり、その正しさを証明する一番確実な方法は侵略されることであるとその著書で言っています。そして続け て、どこの国でもナショナリストは、戦争を防ぐため、国民と国益を守るために必死に論陣を張っているおのれの努力が正当に評価されていないというフラスト レーションを抱え込むうちに、いつの間にか戦争が起こり、国民が殺され、国益が損なわれるということを無意識に期待するようになるとも述べています。 彼は、とても若い人に人気のある文学者です。今の状況をかなり客観的に言い得ていると私は思い、あえて引用させていただきました。だれも戦争状態を望んで はいないでしょう。市長も、平和を愛する気持ちはだれにも負けないとおっしゃっています。しかし、そこにある危機に対峙するために、国民保護計画は必要で あるとの認識で協議会設置の条例が提案されたわけです。しかし、この内田氏によれば、そこにある危機を殊さらに強調することは、結果として戦争を引き寄せ てしまうと言っています。こういった逆説にたえ得るだけの議論をしなければならないと思います。 しかも、そこにある危機は、本当に危機なのかど うかも検証されなければなりません。武力攻撃事態法がだれを利するものとなっているのか、客観的に判断しなければならないし、その議論が何ら尽くされてい ないまま、国民保護法にのっとり、いかなる出費も進めてはならないのです。 私は日本が攻められる可能性とは、アメリカ自身が日本を侵略する場合 と、どこかの国が日本を侵略することによってアメリカがオーケーを与えた場合の2つしかないという、とてもわかりやすいこの内田氏の客観的分析を支持しま す。そしてこの2つとも、有事法制における有事の範疇から排除されているものであることは、だれの目にも明らかです。 もう1つの論点による反対 です。国民保護計画がいかに現実に即していないものであるかという視点です。先日、国民保護計画を詳しく知るための出前講座がありました。その席で、戦争 体験者の中から、戦争中において町会等で避難訓練をやっていた。空襲警報が鳴ったら防空ごうに逃げなさい。公園に逃げなさい。そう言われていたが、実際に なると、防空ごうには兵隊がいて、市民はよそに行くように、また公園にやっとの思いで逃げても、ここは軍隊がいるので住民は他のところへ行きなさいと入れ てもらえず、火の中をさまよい、などの生々しい現実の体験をお聞きする機会となりました。 これまでも、どうやって国民保護をするのか。戦うこと と避難することは、ある意味で利害が反するし、国の国防が第一優先で考えられるとするならば、戦うことが優先され、国民の保護はその犠牲になる。これはさ きの大戦で証明されたことでもあるといった議論もしてきたところです。 まさに、戦争体験者からの発言は、こういった国民の保護という美名のもと に、下に隠されている戦争準備のための国民総動員態勢といったその本質を言い得ているものでした。私は日本国憲法9条で、武力による威嚇又は武力の行使 は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄するとうたってあるその精神を空洞化させてはならないし、今こそ、世界に対して平和への道筋として アピールしていかなければならないと思います。だから、武力攻撃事態法も、それに基づく国民保護法も、そして国民保護計画も、今の日本には無用のものと考 え、反対討論といたします。 <ページトップへ> |