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 教育基本法の改正を求める意見書 質疑
【9番陣内泰子議員】無所属の会派に属していない陣内泰子です。
 教育基本法の改正を求める意見書の提案に対して、私は3つの視点からお伺いしていきたいと思いま すので、よろしくお願いいたします。
 質問に入る前に、今までの答弁をお聞きいたしまして、特に愛国心の問題です。これは今回の提出意 見書には書いていない。中教審の答申に書いてあるということで、中教審の方にお聞きくださいという お答えでした。しかしながら、近藤議員は、御自分で、また、御自分の会派での新たな教育基本法改正 に対する試案を示していない。示す必要もないということで持っていないけれども、中教審の答申に関 しては適切であると考えると、御答弁されました。それであるならば、ぜひ中教審答申を適切であると 考える、その中に、当然愛国心のことも含まれるということを御認識いただいて、きちんとした御答弁 がいただければよかったと思っております。
 では、まず第1点について。現在の教育基本法が規定している教育の機会均等及び男女共学について、 提案者はどのようにお考えなのか、お聞かせいただきたいと思います。今までの質疑の中で、教育基本 法がなぜ制定されたのかといった理由、つまり、教育基本法は戦前、戦中の教育に対する大きな反省に 基づいて制定されたということが御理解いただけたと思います。戦前、戦中の教育は、大日本帝国憲法 のもとで、教育勅語によって根本的なあり方が規定されていました。そこでは、国のために役立っ存在 であることがすべてに優先していました。個を重んじ、基本的人権を尊重するという考えが入る余地は 全くありませんでした。女性においても、選挙権はなく、教育においても差別され、特に戦時下におい ては産めよふやせよの号令のもと、優秀な兵士を産み育てることを求められてきました。当時の教育が 国民を戦争へと駆り立てていくことに貢献したことは言うまでもありません。これは提案者も認めてい ることです。しかし、私たちは敗戦を迎え、戦後の再出発に際して、国民主権と戦争放棄をうたう日本 国憲法を持ったわけです。そして、戦前、戦中の教育の過ちを二度と犯さず戦争への道を二度と歩まな いようにするために、教育基本法で、あってはならない教育に枠をはめてきたと言えます。
 提案者は、青少年の凶悪犯罪、学校崩壊やいじめ、不登校の問題、家庭や地域の教育力の低下、学力 の低下等、今、教育が抱えている問題があり、教育改革は国民的課題になっていると言っておられます。 この認識についても、私もまさに大きな問題だと認識しております。そして、こういった国民的課題に こたえるものとして、中教審の新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画のあり方につい てという答申、並びに教育基本法の改正の提唱に賛意を示されているわけです。つまり、教育基本法が 定めてきた、あってはならない教育としての枠を外すということをよしとされるということなわけです。  今までの答弁の中でひずみが出てきたともおっしやられました。そこで、具体的にお聞きしたいと思 います。細かくなりますが、教育基本法第3条、教育の機会均等、ここにどのようなひずみがあるとい うのでしょうか。どのように認識されているのでしょうか0第3条では「すべて国民は、ひとしく」と いった文言が入っております0しかしながら、答申では、この「すべて」「ひとしく」という箇所を削 除しようとしています。その理由をどのようにお考えでしょうか。これはぜひ中教審答申を出された委 員にお聞きくださいという形ではなく、提案者の御意見としてお伺いしたいと思います。
 また、同じく第5条の男女共学を定めた項目があります。現行法では、男女は互いに尊重し、協力し 合わなければならないものであって、教育上男女の共学は認められなければならないと規定しています。 この項目でのひずみ、それもどのように認識されているのでしょうか。
 そしてまた、この答申では、この箇所もすべて削除すると主張されています。この条項をなぜ削除す る必要があるのかの理由もお伺いいたします。このような条項が教育基本法に掲げられている意義に触 れながらお答えいただきたいと思います。そして、このように教育基本法を改正することによって、青 少年の凶悪犯罪や学校崩壊やいじめ、不登校、学力の低下等、教育が抱えているさまざまな問題が解決 されるその根拠もぜひお示しいただきたいと思います。
 これで1回目を終わります。

【萩生田富司議長】第14番、近藤充議員。
                  〔14番議員登壇〕
【14番近藤充議員】第9番、陣内議員の質問にお答えいたします。
まず、男女共学、教育の機会均等についてどう考えるかということでした。その条項の削除云々とい ぅことでありましたので、簡単にお答えしたいと思いますが、私は機会均等はあるべきであるというふ うに思っています。それはそれぞれの国の定めるところの義務教育の中で、現在の学校教育法で定めら れているわけでありますけれども、いろいろな生活状況の方でもきちんとひとしく義務教育を受けられ るべきだというふうに思っています。ただ、義務教育を終えた後の教育については、私はすべての国民 が高校を卒業したり、大学を卒業したりしなきやいけないなんていうふうには思っていません。それぞ れのお立場で、それぞれの社会に出て、それぞれの職業につく。そして、一生懸命お仕事をする。これ が大切なんだというふうに思っています。御質問者がよくおっしやるようなジェンダーフリーについて もそうだと思います。男女の差別なく、尊重されて、それぞれの職につく。それが尊重されるべきであ るというふうに思っています。男女共学についても、義務教育の中ではうたわれておりますけれども、 それ以上の上の教育については、それぞれの学校の特色を生かすためにいろいろな方法をとられている 学校もあるようでありますから、それはそれで学校教育法の中で遵守されていることだというふうに理 解しています。
 それから、中教審の試案には、ひとしく教育が受けられるとか、それぞれ御質問者がおっしやつた各 論の部分で削除する部分が出ているようでありますけれども、先ほども申し上げましたように、これは まだ中教審の試案でありますので、改正案ではないというふうに思っています。その時期が来れば、恐 らく国の与党の中でしっかりと煮詰めた、慎重に審議した改正案が提示されるというふうに思います。 そのときにそれについては質問者とは御議論させていただきたいというふうに思います。
 不登校対策等の根拠にどうしてなるのかということでありましたけれども、先ほどもお答えしたつも りですけれども、これはちょっと解釈を変えたことになって、発言に気をつけなきやいけないかなと思 いますが、先ほど申し上げた郷土というところにあると思います。同胞の私たち仲間を大切にすること ということだと思います。ただ、不登校の理由も多種多様であります。ただ、1ついじめという問題が あるとすれば、そのいじめは個の尊重が欠けていたということもあるかもしれません。それだとすれば、 郷土を愛する、お互いの同胞を愛する、家族を愛する、祖先を愛する、兄弟を愛する、こういう気持ち が生まれるからこそ、私はいじめもなくなる。不登校の1つの理由だと思います。不登校の中には、先 ほど申し上げたように、いろいろな問題がありますから、昼夜逆転している問題もあったりします。た だ、これは、家族の中でしっかりと相談される。また、相談した家族を社会が支える。要するに、共助 の精神が今ちょっと欠けているのかなという気もします。ですから、そういった点で、お互い助け合う ということをもっとしっかりすれば、不登校の減る理由にはなるというふうに私は考えています。

【萩生田富司議長】第9番、陣内泰子議員。
                   〔9番議員登壇〕
【9番陣内泰子議員】どうも済みませんでした。御答弁いただきまして、ありがとうございました。
 今、いじめの問題について、個の尊重に欠けていた。そして、仲間を大切にすること、それが今抱え ている教育の問題を解決していくためのべ−スであるというようなお答えをいただいたと思います。私 自身、まさにそれが教育基本法の掲げてきた精神であるというふうに認識しております。その意味で、 ここにおいては、価値観が違うというか、判断が違うということで片づけられては困るんですけれども、 そういう認識を持っていらっしやるその提案者が、なぜ教育基本法を変えていくということに賛同され るか、私にとっては理解できないところであります。
 そして、男女共同、機会均等に関しても義務教育においては当然あるべきというお答えでした。しか しながら、なぜ義務教育、そしてまたそれ以上で区切らなければならないのかということは、私は疑問 に思っております。
 また、すべての国民が教育を受けることを保障することもない。だれもが高校に行かなくてもいい。 大学に行かなくてもいい。その人の能力に合ったいろいろな職業教育があってもいいというのが提案者 のお考えであったかと思います0これは、先ほどの公教育、三浦朱門さんの言葉を引いて御説明された、 エリートをつくる必要はないけれども、1%のエリートが誕生する環境をつくる配慮をする必要はある。 そして、優秀な人材をつくっていくため、それが国の根幹であるというお答えと重なっていると思いま す。
 というのは、今習熟度別教育が義務教育の中から始まって、どんどん進んでおります。それは、でき る子はよりできるように、そして、先ほどの三浦朱門さんの言葉にもあったように、非凡、無才の人は それなりにといったような能力の固定化を位置づけるものではないでしょうか。また、自分の中で、高 校に行きたい。また、高校に行きたくない。職業教育を受けたい。手に職をつけたい。そういうふうな 形で選択していくのならばいいわけですが、それはまさに個人の判断です。しかしながら、縦に割れた コース別の勉強の中、能力別の勉強の中で、このコースの子は上の学校に行かなくてもよろしいという ようなことをどうして国から決められなければならないのか。それはまさに個人の尊厳に対する冒讀で はないかと思っております。
 さて、次についてです。教育基本法はだれもが学べる、また、だれも大切にするという教育を実践し てきました。先ほど提案者もひずみがあるということを言われていましたが、それはまだまだその途上 であるということで認識しております。朝日新聞とベネッセ未来教育センターの2004年の共同調査によ れば、保護者の96%が、学校教育に対して、基礎的な学力を伸ばすことを願っています。にもかかわら ず、教育基本法の改正の方向は、まさに平等主義や画一主義の見直しとして、早い段階からの才能に応 じた教育が受けられるような教育システムの弾力化をし、社会を牽引するリーダーを―1%です― 育成するということを目標にしているのであります。これはまさに教育機会の差別化を正当化、そして、 固定化するものと言えます。
 先ほどの三浦朱門さんの発言については、割愛しますが、この発言に対し、また、文部科学省の教育 改革に大きな影響力を与えた2000年に開かれた教育改革国民会議の委員でもある、その審議に当たった 教育学者の藤田英典氏もこのような差別をするような、そして、できる者はできたまま、非才、無才の 者は実直な精神だけを養えばいいといったような、それに類する発言が、この教育改革国民会議の中で も発言がされており、そして、それに対して強い違和感を持ったと、著書の中で述べられています。  そこでお伺いいたします。提案者は、今回の教育基本法改正の背景には、こういったエリート教育の 推進―先ほどエリートをつくる必要はないというお答えですけども、それが差別化の拡大と固定化を 生み出すと私は考えるのですが、それについてはどのようにお考えでしょうか。
次に、男女共学についてお伺いいたします。学校現場で男女共学、平等の目的は大分達成されてきて いるかと思います。そして、義務教育において、提案者が、それは必要であると述べておられます。し かし、なぜ義務教育以上については、特色のある学校づくり、さまざまな道があってもいいのではない かというお話でしたけれども、私は、義務教育の中においての男女平等教育は、決してその内実におい て十分に達成されているとは思っていません。男女がともに敬愛し、協力し合っているということは、 ともに日常の生活の中で、それが実現されていることを意味します。学校現場においては、教育の上だ けではなく、学校生活全般にわたって保障されていることでなければならないのです。今、枠組みとし て、男女共学は義務教育においてほぼ定着していることは事実ですが、まさにその義務教育以上の高等 学校での共学化や大学進学における男女の学部の偏り、社会に出てからの男女の職業的偏りや性別によ る役割分業の肯定など、問題は多く、学校が真に男女平等推進のためにしなければならないことはまだ まだたくさんあります。
 具体的に言うならば、進路や専門領域の選択に反映される子ども、生徒や親の志向の男女差、教育内 容やカリキュラムに見られる男女の区別、つまり、隠れたカリキュラムの存在です。教員の指導方法や 教員文化の中にある男女平等の阻害要因、こういったことに対しても取り組みは始まったばかりです。 まだまだ十分な成果を上げているとは言えない状況です。これは義務教育課程においても当然です。 高等学校の家庭科の男女共修が始まったのは1995年のことです。これについても提案者は異論がある のかもしれません。これは女子差別撤廃、女性の地位向上といった世界の流れに抗し切れず、やっと実 現したものであることを考えると、教育基本法が男女共学を推奨しているにもかかわらず、それの実現 を阻止する大きな力がまだまだ存在しているということでもあります。
男女を不必要に分けている男女別名簿を排して、混合名簿にしようとする動きに対しても圧力がかか っていることは、今回の東京都教育委員会の通知に見られるとおりです。その意味で、教育基本法で述 べている男女共学の趣旨は、広く浸透しているとは言えないものであり、より一層浸透させていく努力 をしなければならないのが今後の課題でもあると思います。
 そして、こういったことを改善するためにも、学校内部での上記の問題点の点検、男女平等教育の実 践が、男女共学といった現場から模索されなければならないわけで、男女共学といった方向性をより一 層明確にして実施していく必要性を感じております。男女共学とは、同じ教室で、同一同程度の教科、 学科を同一の教材、教育方法で、同一の教員によって学習することを意味しています。少子化や学校経 営の面から、男女共学ということで門戸を広げつつも、実際は別学という学校も多々見られます。改め て、この教育基本法の精神である男女共学の推奨の理念の具体化を図っていくことが求められているの ではないでしょうか。
 もちろん、これは男女共学をしなければならないというふうに決めているわけではないということは 私も重々承知しております。
 さて、質問です。私自身、このような条項が削除されることによって、今後の男女平等教育、どのよ ぅに変わっていくのか、非常に心配しております。提案者の場合、義務教育においては変わらないとお っしやつております。しかし、私自身、今述べたように、まだまだ不十分な点、そして、それを年を重 ね、そして、積み重ねていくことこそに大きな男女平等教育の実現があるわけなので、それについてこ のような条項を削除するということに対しては大きな疑問を感じているところですので、提案者の見通 し、男女平等教育の将来像、イメージをぜひお聞かせいただきたいと思います。
 次に、2番目の柱である家庭教育について、お伺いいたします。
 改めて家庭教育の条項が答申の中では入ってくるわけです。先ほども提案者の中で、家庭教育につい て触れられていた御答弁もありました。家庭教育の役割と国や地方公共団体における家庭教育の支援に っいてを追加するということが答申で言われているのですが、その理由と必要性について、どのように お考えでしようか。これはぜひ提案者の御意見をお願いいたします。家庭教育の役割、そして、国や地 方公共団体における家庭教育の支援について、このような条項を追加するということについてです。
 さらに言えば、2004年6月に出された自民党憲法改正プロジェクトチームの論点整理では、憲法第24 条の婚姻、家族における両性平等の規定は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきという ことが論じられています。これは自民党の憲法改正プロジェクトチームの論点整理の中で出されたこと です。それについて、私的なお考えでも結構ですので、ぜひお聞かせください。新政会でいらっしゃる ということで、別に新政会を代表してということではなく、当然、論点整理についても認識されている と思います。お考えをお持ちであると思いますので、お聞かせいただきたいと思います。
 今でさえ両性の平等が現実的に十分に保障されていない中、憲法でのこのような規定をなくして、両 性の平等を保障しない家庭、この教育基本法で導入しようとする家庭教育とは一体どういう家庭なので しょうか。その点についてもお示しいただきたいと思います。
 これで2回目の質問を終わります。

【萩生田富司議長】第14番、近藤充議員。
                   〔14番議員登壇〕
【14番近藤充議員】2回目の御質問をいただきました。最後はちょっと問題が聞き取れなかったの で、もう一度、この後、お願いできればと思います。
 最初の、エリート教育は差別化や固定化につながるのではないかというようなお話でした。これにつ いては、先ほどもエリート教育というふうに私は申し上げたつもりはありません。三浦朱門さんのお話 が出ましたので。エリートというと、ある意味聞こえが悪いかもしれませんが、簡単に言えば、できる 子が伸びるということだと思います。スーパーエリートでなくても、勉強を一生懸命やりたい子どもが、 児童、生徒が一生懸命やれる学習環境というふうに私は思っておりますから0その差別化や固定化の背 景にはならないというふうに思います。
 ある意味、今、義務教育のレベルであっても、教育段階であっても、公教育もありますし、私学の教 育もあります。それぞれ皆さんがそれぞれの事情に応じてまさしく選択の自由で、行きたい学校へ行っ ているというふうに私は理解しております。だからこそ、差別化も固定化もないというふうに思います。  それから、男女共学の将来イメージということでしたけれども、これについては、公教育においての 男女共学のシステムと私学においてのそうでないシステムがありますけれども、先ほども申し上げまし たように、これもやはり選択の自由であるというふうに思いますし、公教育の中では、家庭の次に、あ る意味、集団となる社会を経験する、社会環境というのを勉強するのが学校であるというふうに思いま すから、その中で、男女が共学であるというのは、私は望ましいというふうに思います。御質問者がよ くおっしやるような、まさしくそういった環境の中で、ジェンダーフリーなども自然と芽生えるのがあ ってほしいというふうに期待していますし、希望しています。
 それから、家庭教育の役割でしたけれども、実は、今回の教育基本法の改正を新政会から出させてい ただくということになったときに、多くのお便りをいただきました。その中に、学校ばかりじやなくて、 家庭教育がしっかりしなきゃだめですよというおはがきもいただきました。まさしく多くの方が、家庭 教育の役割というものが重要であるというふうに認識しているというふうに思います。ただ、家庭教育 というのは、保護者がいて子どもがいる家庭でありますから、そうなってくると、保護者を教え育てた 学校教育が過去にあるということであるというふうに私は思います。だからこそ、今の私たちもそうで すけれども、私たちが子どものころに経験した学校教育で、それなりの考え方を持ってきている、身に ついているというふうに思います。だからこそ、その中で、先ほど申し上げた郷土というのもあります し、共助というのもあります。こういったものをジェンダーフリーもそうだと思います。きちっとした 学校教育の中でそれぞれの保護者、大人になって、それがすばらしい家庭教育をなされるべきだという ふうに思っています。まさしく質問者がおっしやる条項の追加をすべきだというような御質問だったと 思いますが、これについては、傍聴席に中教審の関係者もいらっしやいますから、きょう、こういった 議論を聞いていただいておりますので、恐らくそういうところで反映するのではないのかなというふう に思いますし、私も、何かのチャンスがあれば、御質問者と同じような気持ちを伝えたいというふうに 思います。
 最後はちょっと聞き取れなかったので、もう一度お願いします。

【萩生田富司議長】この場合、会議時間の延長をいたしておきます。
【萩生田富司議長】第9番、陣内泰子議員。
                   〔9番議員登壇〕
【9番陣内泰子議員】ありがとうございます。2回目の最後の質問ですね。それは今改めて言わせ ていただきます。それは2004年6月に出された自民党憲法改正プロジェクトチームの論点整理で、その 中に憲法24条、婚姻、家族における両性平等の規定は、家族や共同体の価値を重視する観点から、見直 さなければならないというように述べられているわけです。これについて、新政会でいらっしやるとい うことで、当然この論点整理についても認識されていると思っておりますので、お考えをお持ちである と思いますので、お聞かせいただきたいということで、なぜこのような憲法24条をここで出すかという ならば、これは両性の平等の規定を、家族や共同体の価値から見て見直さなければならないと言ってい るからです。つまり、教育基本法の家庭教育の条項を加えよう、その中で言う家庭教育、そこでイメー ジされる家族とは、両性平等の規定がない、そのような家族、家庭をイメージしているのかなと疑問に 思ったところで、お聞きしたいというわけです。
 これが先ほどの質問です。
 それでは、3回目の質問をします。
 今、エリート教育ということは提案者も述べていない。しかしながら、できる子をもっと伸ばしてい く。それは選択の自由であり、差別につながらないものである。また、そういうことは義務教育の中で も行って、私学の教育、公教育の中で行っていってしかるべきであるという御説明がありました。しか しながら、本当に私たちは選択の自由を持っているのでしょうか。私は、疑問に思います。どのような 学校を選ぶか、それの価値判断、今、この八王子も学校選択制が導入されてきております。その中で、 保護者は、子どもは、どういうところで学校を選ぶのでしょうか。特色のある学校づくりといっても、 何をもって特色あるとするのか。特に義務教育の課程においては、それが学力、つまり、学校の序列化 を生むということが懸念されていることは御承知のことと思います。あわせて、学力定着度調査が実施 され、それが公表されていく。そのような中で、親や、そして、子どもたちは、それを1つの選択の判 断にしていくということは、ある意味で当然のことではないでしょうか。
 というところで、私は、選択の自由、それと同時に、できる子はよりできるようにというお答えでし たが、義務教育の価値というものをどこに置かれるのか、疑問に思います。つまり、学習能力のある子、 そのサポートをしなくても、また、ちょっとサポートすれば、どんどん学んでいく子、そのような学習 能力の長けた子は、ある意味で、どんどん伸びていくものです。義務教育において必要なのは、本当に サポートしなければならない、その子どもたちへの配慮を欠くならば、それは何のための義務教育なの か、疑問に思います。まさに今回の中教審、このような今回の意見書の提案の中には、具体的には示さ れていませんけれども、義務教育そのものを変えていく、それが大きな教育基本法の改正の底流にある のかと思われますが、その中では、まさにこのような学力の問題のある子、そして、一つ一つ向かい合 いながら丁寧に指導していくことによって伸びていく可能性のある子、そのような子たちをある意味で 放置していく。そして、それをよしとしていくという大きな動きが垣間見えるわけです。
 そして、男女共学についてです。男女共学、義務教育の中で、自然に芽生えてくればいい。それにつ いて御意見をいただきました。しかしながら、自然にやっていくことがこの結果であるということを考 えるならば、なぜ男女共同参画基本法が必要であったのでしょうか。学校の中で、より積極的に男女の 問題、ジェンダーの問題を解決していくというか、それぞれの個性において性別によって固定化した役 割を振り分けられないように、そして、それが自分自身の選択としてきちんと身につくように教育して いくのが男女平等教育であると認識しています。
 男と女は違うのだから、その特性を尊重することが男女平等であり、共同参画であるという、また、 このような画一的な平等主義は個性をつぶすといったような考えは、まさに男女共同参画基本法に反す るものです。自然にしているということではなくて、男女が互いにその人権を尊重しつつ、責任を分か ち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現 がまさに21世紀の最重要課題であり、自然に任せておけば芽生えてくるというものではないということ をぜひ御認識いただきたいと思います。
 次ですが、こどもの権利条約は、日本も1994年に批准いたしました。そのこどもの権利条約では、子 どもを独立した基本的人権の保持者として位置づけなければならないとしています。つまり、子どもを 学校に合わせるのではなく、子どもの目線で教育がなされていくことをうたっているわけです。しかも、 この権利条約の中では、国家が家庭教育に介入しないという原則も示しています。国家の役割とは、家 庭教育が十分に行われるような環境づくりに限定されるべきものです。私自身、家庭教育の重要性は十 分わかっているつもりです。しかし、それがなぜこのような教育基本法という法律の中で書かれなけれ ばならないか、また、国が規定しなければならないのか、それは理解できないところです。
 教育の目的とは、教育基本法の目的にも書かれているように、人格の完成であって、国にとって都合 のいい人間をつくることではありません。ある一方的な国の意向に沿った教育を受けなければならない ということではなく、国を批判する力をもつけるようにすることが教育であり、教育の中立性でもある と思います。思想、信条によって教育上差別されないということの重みがここにあります。
 そのような意味で、家庭教育について国が規定することは、国による家庭教育の押しつけと言えます。 もちろん、子どもの成長に対して家庭は第一義的な責任を持っていると言えるのですが、今の子どもた ちが抱える問題の根拠をすべて家庭教育の欠如のせいにすること自体が国としての教育の放棄につなが るし、行政の責任の回避につながります。強い父親と献身的な母親といったようなあるべき家庭から発 想して、家庭教育はこうあらねばならないと法律で規定することは、家庭の自由に対する侵害でもある と言えます。どのような家庭で育とうと、シングルマザーの家庭であろうと、別姓婚の家庭であろうと、 子どもはひとしく教育を受ける権利があるのです。そして、どのような関係の中で家族をつくるのかは、 それぞれ個人の領域の問題です。今の子どもたちは利己的であるとか、自制心がないとか、さまざまな ことが指摘されていますが、まず反省しなければならないのは、今日の社会のあり方が子どもたちに反 映しているということを認識しなければならないと思っております。
 家庭の教育力が低下したという認識には、以前は家庭に教育力があり、父親に威厳があり、よかった  といった復古的な考えに基づくものと言えます。核家族になってきたことにはそれなりの歴史があり、 そして、核家族が持つ脆弱さを社会がフォローしてこなかったことが、今日の家庭を取り巻く問題とも なっていると言えるのではないでしょうか。
 また、長時間労働や低賃金、階層間格差の拡大などによって、家庭にゆとりがなくなってきているこ とも事実です。100ます計算の答え合わせを家庭で見てあげられない、夕食が一緒にとれない、宿題を 見てあげる時間がない、子どもに本を読んであげるゆとりがない等、これは家庭の責任なんでしょうか。 しかも、どのような家庭に生まれるか、子どもには責任はないのですから、親が十分に教育支援を行わ ない、行えない子どもを家庭の責任と言って切り捨てていくのは、何のための義務教育なのでしょうか。  さて、今、犯罪の増加について、提案者は痛ましい事件が起こっている、そのようにおっしやってい ます。そして、その中に家庭の欠如、家庭の教育の問題があるということもあわせて説明されました。 しかし、犯罪の増加といっても、それは決して事実ではありません。マスコミ等で取り上げられること が多くなったということであり、犯罪白書によれば、むしろ減少しています。しかし、痛ましい事件が 起こっていることも事実です。このことに関しては、私も心を痛めている一人です。しかし、このこと が教育基本法のひずみの原因なのでしょうか。具体的に示していただきたいと思います。
 先ほどの憲法24条の問題と犯罪の問題です。それについてお答えいただきたいと思います。  それと、いろいろな人がいます。いろいろな考えがあります。自分の考えだけがすべてではない。こ ういったことを学ぶ機会こそが学力の獲得とともに、学校教育のもう一つの側面でもあるわけです。だ からこそ、学校教育の中に分断や差別を持ち込むことの危険性が言われているのです。先ほど差別はな い、固定化はない、選択の自由であるというお答えではありましたが、それをフォローするさまざまな 習熟度別教育や能力別コースなどが提示される、そういう教育政策が進んでいくことで差別が固定化し ていくことを懸念します。
 最後の3つ目の柱の問題、質問です。教育行政の介入について、お伺いいたします。
 第10条の改正で、教育行政の力をより一層強めようとしています。ことしの春の東京都及び八王子市 教育委員会の日の丸・君が代の強制に見られるような、理不尽な行政の教育の場への介入の道を開くも のになることを、この10条の改正で私は懸念いたします。この点について提案者のお考えをお聞かせく ださい。つまり、東京新聞の調査によれば、今回の都教委の日の丸・君が代強制について、都民の72% が行き過ぎ、義務づけるべきではないと否定的な答えを述べています。このように、行政の介入を都民 は望んではいないのです。この点について、提案者のお考えをお聞かせください。
 教育基本法が子どもという学ぶ側に視点を当てて定められているのに比べて、改正の方向性は教える 側の論理が色濃く出ています。特に第10条の改正に見られるように、教育行政の強化、国による教育の コントロールは再び子どもを国の道具にしていくことにつながると言えるのではないでしょうか。今必 要なのは、教育基本法の改正ではなく、今教育現場が抱えている問題の本質と背景を見きわめ、思い込 みや独善、偏見による対応策ではなくて、合理的で、より多くの国民の合意が得られるような改革、改 善の検討こそが国民的議論として行われていかなければならないのです。
 私の手元にもたくさんの市民の方から、また、団体の方から、教育基本法の意見書の採択をしないで ください、学校や社会に教育基本法をきちんと生かすようにしてくださいといった要望書や手紙や電話 が寄せられています。他の議員のところも同様だと思います。採択してほしいというのは1通もありま せん。1件もありません。
 その意味で、今までの私の意見及び改正不必要の論点を踏まえて、再度、何をどのように変える必要 があるから、教育基本法を改正する必要がある、その根拠を具体的にお示しいただきたいと思います。  これで私の質問を終わりたいと思います。

【萩生田富司議長】第14番、近藤充議員。
                  〔14番議員登壇〕
【14番近藤充議員】3回目の御質問をいただきました。
 まず、憲法改憲の24条の論点整理の私見を述べよということでございますけれども、残念ながら勉強 しておりません。述べることができません。
 学校の実力テスト等の問題に触れて、選択の自由が本当にあるのか。それから、学力の序列化に通じ るのではないかというような御質問だったと思います。これについては、八王子市で言えば、学力定着 度調査は、公開すべきだと思います。ただ、それは学校の特色を発揮すべきであるというふうに思いま す。それぞれの学校での情報をきちっと市民、保護者ともに共有することによってそれぞれの学校での 特色が発揮できるのではないのかなというふうに思います。私はそれを序列化というふうには考えてい ません。
 それから、3つ目の質問で、犯罪のお話をいただきました。御質問者は、犯罪はふえてないというこ とでありましたけれども、残念ながら、青少年の犯罪は増嵩傾向にあります。私は、その原因の1つは、 家庭教育にも大きな理由の1つはあると思いますが、私はよく議会でも申し上げておりますけれども、 教育の中でも大きな割合を占める学校教育の中での規範意識の育成というものが欠如しつつあるという ふうに思います。これはいろいろな価値観があって、それぞれ学校の現場の先生方が御判断されている ことでございますけれども、残念ながら、私は、規範意識の欠如というのは否めない事実であるという ふうに思います。
それから、介入の問題でした。新しい教育基本法が教育行政への介入についてどうお考えになるかと いうようなことだったと思いますけど、あえて申し上げれば、私どもでいただいている資料、例えば中 教審のものでいけば、直接大きな教育行政への介入は180度変更になるというものはないんじやないか なというふうに思っています。教育基本法第10条の部分ですね。というふうに考えています。
 以上でございます。(「具体的に何をどのように」と呼ぶ者あり)
 先ほどそれは意見書の中で理由を説明したつもりでございます。具体的にというとたくさんあります けれども、とりあえず総論としてその意見書にまとめさせていただいたというふうに思っています。

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