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2004年 第1回定例議会議事録 |
<要旨> 1.歳出予算配分の透明性 (1) 新市民会館建設について (2)中央道八王子インター北地区基盤整備について 2.市民協働の推進を実効性あるものにするために (1)NPO等への事業委託について ― 国際交流センターの運営及び予算措置 (2) 市民活動支援センターの位置づけ |
【9番陣内泰子議員】 監査報告について、前の議員の方々が聞かれ、そして答弁があったことについては省略させていただきながら、それを補足する、また、あえて聞いておきたいことについて、今回質問させていただきます。 まず、エヌピーオー・フュージョン長池についてです。前の議員の質問に答えて、ネイチャーセンターをNPOに委託し、なおかつフュージョン長池に委託していった経過ということのお答えがありました。それは自然館のテーマは、自然との触れ合いをテーマとして、地域貢献密着型で運営していく。そのテーマに合うためにNPOが必要であり、フュージョン長池に決定したということが報告されたんですけれども、その中で、まさに開館から2年半余り経過している、こういった委託目的と事業展開の整合性について、どのように評価なさっているのかということをお聞きしたいと思います。 というのも、今回のようなきちんとした事業計画に対しての文書、また市との協議内容が書面として残っていなかった、そのようなことが報告されているわけですけれども、それはある意味できちんとしたネイチャー館の運営に対しての意思疎通、また目的、それが委託先との間で、きちんとした合意形成になっていなかったという前提があるのではないかと思い、それに基づいて行われた事業展開の整合性について、どのように評価しているかということをお聞きしたいと思っております。 次に、配食サービスについてです。配食サービスの数が減少してきているということについては、今、さまざまなお答えがあったわけですけれども、その中で、まさにこれはふやす方向性を持ってこなかったというのが現状ではないかと思っております。そのような中、監査報告書の中でも言われているように、補助金の対象の絞り込みという理由もあるのか、配食サービスの受け手について、食の自立の観点からのアセスが必要とされていると書かれてありますが、この内容については御答弁がありましたけれども、では、食の自立の観点から、食の自立とはどのような考えにのっとっているのか、さらに、こういう食の自立の体系の中で、八王子としての配食サービスをどのように位置づけていらっしゃるのかをお伺いしたいと思います。 最後に、放置自転車対策なんですけれども、特に南大沢地区についてです。ここはまさに報告にあるように、自転車の使用台数以上の駐輪場があるにもかかわらず、長い間、放置自転車の対策がとられてきていなかった地区と言えます。監査報告にもあるように、駐輪場へのアクセスが極めて悪い、それが利用率の悪さにもつながっております。まさに現地に行ってみても、使われないのも無理もないといった状況であるのですけれども、防犯上も大きな問題になっているこういう使われない駐車場に対しての対策、具体的な解決策をお伺いしたいと思います。 また、利用料金ですけれども、八王子の場合、直営の場合は無料、自転車駐車場整備センター運営のところにおいては、建設費の償還の関係から有料となっているのですが、1ヵ月、自転車で2,000円、バイクで3,000円というのは、余りにも高いのではないでしょうか。このような料金設定も利用率の低下を促しているものと考えられますが、この問題についても、もう少し何とかならないかと思います。お考えをお聞かせください。 また、監査報告では触れられていなかったんですけれども、利用の推進に向けて自転車駐輪場の案内板が少ないかのように感じられました。これについても御見解をお示しください。 以上で1回目を終わります。 【窪田和朗まちなみ整備部長】 フュージョン長池につきまして御答弁申し上げます。 まず、事業展開に対する評価でございますが、平成13年7月の開設以来、2年7ヵ月が経過していまして、この間、多くの無償ボランティアや企業が協力を始めてまいりました。また、事業の展開も広がり、参加する市民も多くなってきております。このように市民が主体となった多様なサービスが始まっておりまして、当初の目的でございます公園施設の案内、各種催し、自然環境に関しての講習、及び会議室、レクチャールームの貸し出し等の当初の目的は達成できているというふうに考えております。 【市川健寿道路事業部長】 南大沢駅中央と都立大学前の自転車駐車場につきましての利用勝手が悪いのは、利用率が低いということではないかということでございますが、この両自転車駐車場につきましては、東京都から移管を受けたものでございまして、両自転車駐車場とも移管前に、デッキ上からの自転車の出入り口を想定していたものではございません。そんな関係で、出入り口は設けられておりません。そんなことで利用率が非常に低いということでございます。 現在、自転車駐車場の経営につきましては、財団法人自転車駐車場整備センターにお任せしておりますので、ここと協議を行いまして、デッキ上から出入り口の設置に向けまして、現在、設計プランを立てており、早急に改善を行う予定をしておるところでございます。 次に、利用率の低い自転車駐車場は料金を下げたらどうかということでございますが、現在、市内の有料自転車駐車場はすべて財団法人自転車駐車場整備センターへ運営を委託しております。使用料は、運営費と建設費の償還状況を勘案して決定しておるところでございます。 また、使用料につきましては、市内全体の均衡を図る必要もあり、料金体系については統一性が必要であると考えておりますので、市内全体の自転車駐車場の収支状況を勘案しながら、あり方について検討していきたいと考えております。 【岡部正明高齢者・障害者担当部長】 配食サービスの件でございますけれども、先ほども食のアセスの関係については御答弁を申し上げました。そして、配食サービスについての位置づけというお話がございましたけれども、これにつきましては、今後、高齢者の方がふえていく傾向にございますので、そういった方々への食事そのものを市が提供するということにも限界がございます。したがいまして、配食サービスを真に必要とされる方にどのように提供していったらよいかということを今後考えていきたいと思っております。 【9番陣内泰子議員】 ありがとうございました。今、2年と7ヵ月余りたって、ネイチャーセンターの目的はほぼ達成されているという御答弁がありました。それについてなんですけれども、このネイチャーセンターは、地域密着型という位置づけではあるとしても、広く市民や、そこを訪れる人々へ自然への情報を提供する場でもあるわけです。このようなことは、体験学習などに参加する人だけでなく、ここに足を一歩踏み入れた人が自然への関心を高め、満足できるような仕掛けが必要であると思っています。展示などもその一つであると思うのですが、まさに、先ほどの議員の質問の中にもありました人の配置、つまり、専門性の提供が重要になってきていると思います。これは地域の市民センター等の運営と違う、ネイチャーセンターとしての特徴であり、独自性でもあり、環境やまちづくりに卓越したNPOへ委託することによって、行政が運営するより以上の効果が上げられる根拠でもあるのではないでしょうか。しかしながら、この間の管理運営に関しては、館長が1名、あとはパートなどの臨時職員で対応されており、利用者から、受付の人にいろいろ聞いてもわからないことが多く、また、展示品や販売品などの説明を求めても、明確な答えが返ってこない。これは一体何を目的とした施設なのだろうかといった疑問も出てきております。 これはNPO団体自身の問題でもあるのでしょうが、委託事業としてそれ相当の財政援助をしてきている市として、ネイチャーセンターとしての特色を出していくために、その専門性に対するチェックなどをどのように行っているのかを、追加でお聞きしたいと思います。 1ヵ月の事業計画を見ても、環境教育や自然への関心を高めるような事業は、それほど多いとは言えません。絵手紙や書道、切り絵などの地域密着型の生涯学習支援ももちろん重要ですし、こういった切り口からの自然館のアピールも必要ではあると思いますが、ネイチャーセンターとしての基本姿勢が見えてきていません。このことが、今回の監査に指摘されたような事態の遠因にもなっているのではないかと思いますので、ネイチャーセンターとしての専門性についてお聞かせいただきたいと思います。 先ほどの配食サービスについてです。食の自立の体系の中で、八王子市としての配食サービスをどのように位置づけるかということに対しての御答弁をいただきました。その中で、食事そのものを提供していくことにも限界があるというお答え、そして先ほどの議員への御答弁をあわせて考えるならば、配食サービスについて、より厳選された人を対象にサービスを提供するというふうに理解しております。こういった方向の転換、最初は新地域福祉計画においては配食サービスの数をふやしていく、そのような方向であったにもかかわらず、こういった方向の転換、より厳選に絞っていくということは、今まで配食サービスが担っていた安否確認や社会との接点、触れ合いといった側面が大きく後退せざるを得ない状況ではないかと思います。であるならば、こういった側面をどのような事業によってカバーするのかということですが、それについてはいかがでしょうか。つまり、生活の基本、健康の基本である食べるということを通して、介護予防や触れ合い、社会性の維持をつくっていくために、行政としてどのようなサポートが必要かということをお伺いいたします。 また、市内の有償食事サービス団体は7団体あり、全体の地域をカバーしているとは言えない状況ですが、こういった食事提供の市民団体や、民間業者の育成、支援等についてのお考えもあるのかどうか、お伺いいたします。 具体的な支援としては、補助金だけでなく、厨房の提供や人材育成などのサポートなどもあるかと思いますが、この点もあわせてお願いいたします。 自転車駐車場の管理に対しては、ぜひ早い段階でのアクセスの改修工事が進むとともに、あわせて料金体系についても、利用状況にかんがみながら御検討いただきたいと思います。 これで2回目を終わります。 【窪田和朗まちなみ整備部長】 体験学習施設での専門性がある人材をという御質問でございますけれども、そもそも長池公園の自然館、これは東京都が事業をしています多摩ニュータウン事業、これらの中で、多摩丘陵の都市化の中で、長池地区の昔からの歴史、自然を後世に残すために、自然との触れ合いを設置目的とした施設でございます。例えば、高尾にあります森林総合研究所多摩森林科学園のように、樹木に関する研究機関として専門家が常駐してレクチャーできる施設とは、ここのところは目的が異なっております。したがいまして、管理者はそれ相応の自然に関する知識は必要とされますけれども、私どもとしては高度の専門性までは求めていないというふうに考えております。 【岡部正明高齢者・障害者担当部長】 配食サービスの件でございます。先ほど御答弁をさせていただいた中で、配食サービスを真に必要とされる方に提供していきたいと申し上げたわけですが、そもそも配食サービスの趣旨がそういうところにあるということ、また、この配食サービスにつきましては、見守りの観点というものもございますけれども、これらについては、見守りがどのような形でできるかということにつきましては、私どもが現在進めている事業もございますので、総合的にこういったものにおいてカバーできると考えております。 それから、有償の市民団体への支援というお話がございましたが、これにつきましては、既存の施設を利用した形の中で、有償市民団体に施設を貸し出すという形のことも検討したわけではございますけれども、衛生面での要素もございまして、費用負担がかなり高くなるという状況もあります。そんな状況の中で、現在はその展開については、今、一時ストップをしているという状況がございます。 【9番陣内泰子議員】 ありがとうございました。今、自然館、ネイチャーセンターについては、それほど高い専門性を要求しているものではないというお答えでしたけれども、ネイチャーセンターとして求めて来館する方も多々いらっしゃいます。ボランティア等、さまざまな卓越した知識をお持ちの方とともに、より高度な、そしてより満足のいく運営をしていっていただきたいと思います。 NPOへの事業委託、協働は、まさに始まったばかりと言えます。しかし、こういった事業はますます高まってきていると言えるのではないでしょうか。試行錯誤しながらも、NPOとのパートナーシップを育てていくことが求められています。というのも、市民との協働の推進は、市の施策展開の大きな柱でもあるからです。行政と市民活動団体の協働のあり方に対する基本方針の中でも、事業提案や本来業務委託などを通して、NPOとの対等なパートナーシップの形成に取り組むと示されており、施策の進行管理や協働事業の評価は、市民と行政により行うとされています。公正性と透明性を担保するためにも、今回の監査での指摘を真摯に受けとめ、改善を図るとともに、より一層のNPO支援をお願いしたいと思っております。 そして、1つつけ加えさせていただきたいのですけれども、先ほど平成16年度以降のネイチャーセンターの管理運営について、指定管理者制度の中で検討していくというお答えでありましたけれども、それについて、もう少し、平成16年4月の時点ではどのような形態になっていくのかということを、最後ですけれども、1つお聞きしたいと思っております。 そして、配食サービスについてです。配食サービスをどのような形で行っていくか、また、民間団体などの配食サービスへの支援についても御検討をいただきながらも、なかなか困難であるという御答弁でありましたけれども、これからは、さまざまなところで、お年寄りの食事ケアについて、食の自立といった観点からの支援では不十分で、全部を行政の責任ですべきだとは思っておりませんが、NPOなどとの協働を進め、介護保険の対象とならない方への生活支援サービスの充実を図るとともに、質の高いサービスを提供できるような人材育成に早急に取り組んでいただきたいと要望して、終わります。 【9番陣内泰子議員】 無所属で会派に属していない陣内です。第26号議案、八王子市いきいき企業支援条例設定について、反対の立場で討論を行います。 この条例は、八王子ゆめおりプラン、及び八王子市いきいき産業基本条例に基づき、ものづくり産業、商業、物流系産業、事務所といった企業の立地を促し、市内の産業系の土地利用を維持していくことを目的としていることは十分理解しております。しかしながら、文教経済委員会でも議論されたように、この条例の中身そのものに幾つかの問題点があることが明らかになりました。 まず、企業立地促進地区への進出企業に対しての奨励金、具体的には固定資産税、都市計画税、事業所税等相当額なのですが、これらの明記が条例の中になされていない。このようなことは先ほどの委員長報告でも述べられたことです。 また、対象施設規模においては、八王子の中心的産業になっている中小企業の規模を見ても、大き過ぎるのではないかといった疑問も出されているところです。こういった指摘に対して、施行規則等で対応していくのではなく、やはりきちんとした条例の中に盛り込むべきと思います。さらに問題なのは、企業立地促進地域として、圏央道八王子北インターチェンジ周辺地区や、中央道八王子インターチェンジ周辺地区へといった未整備の地区が含まれていることです。市長が告知しなければ対象地区にならないわけですが、整備されていなければ告知できないということで、まさに開発へのインセンティブを与えるものとなっています。事実、16年度予算案でも、中央道八王子インター北地区基盤整備促進費用としての7,200万円が計上されているところです。しかも、この地区には、かなりの都有地があるということで、市が独自に実施できるものでもありません。まさに、非常に不透明な事業と言えるものです。 また、物流系企業の立地促進地区である圏央道八王子北インター周辺地区が、大型物流拠点として成功するためには、圏央道の延伸やフルインター化といった整備をはじめ、中央道と連結させる北西部幹線の開通が必須のものとなってくるでしょうが、費用は市の試算で440億、実際には倍以上もかかるとも言われており、市の現在の財政状況では着手できないでいる北西部幹線道路事業の推進にも弾みをかけることになりかねません。つまり、この条例によって推し進められる物流系産業の誘致とは、八王子が幹線道路に囲まれた、トラックが行き交うような、まさに大きく八王子の都市像を変えてしまうようなものになると言えます。財政的にも、補助金をはじめとした財政的裏づけがなく、都や国の意向に依存しなければならないといった不透明な事業に、多額の市税を投入するわけにはいかないのです。 このように、この条例は、条例として未整備であるばかりではなく、条例設定において期待される効果以上に、圏央道インター周辺地区への開発、中央道八王子インター周辺地区への開発、そしてそれらをつなぐ北西部幹線道路の推進を促すものとしての効果の方が大きいと言えます。実体のない産業振興を名目にした大型開発や、環境を破壊するトラック中心の産業道路はいりません。ひとりひとりの市民が、緑多い自然と調和したこのまちに住み続けられるようにするためにこそ、産業振興があることは忘れてはならないと思います。 以上の理由で、第26号議案に反対し、討論を終わります。 【9番陣内泰子議員】 無所属、会派に属していない陣内泰子です。2004年度八王子市一般会計並びに各特別会計予算及び関連議案について、反対の立場から討論を行います。 2004年度予算編成に当たり、厳しい財政事情であることは、他の議員の討論の中でも充分明らかになっています。少々乱暴ですが、家計簿感覚でイメージしてみるならば、家計に入ってくる収入が減っているのに、借金返済のためにさらに借金をしなければならないといった自転車操業を余儀なくされ、しかも、その借金残高は、年間の支出の倍近くになっている、こういった八王子の状況です。そのときに何を考えるかといえば、できるだけ収入をふやす努力と、出ていくお金の吟味、そして新たな借金をしなければならないような状況をできるだけ避けようとする、だれでも思うことです。 市側もそのような観点からの予算づくりに努力してきていることはわかるのですが、新市民会館の建設事業のスタートについては、こういった観点からの吟味を放棄しているかのようです。つまり、税収をふやすための産業振興、駅前のにぎわいとして計画されている八王子駅南口再開発事業に付加価値を与えるものとしての市民会館建設ですが、再開発事業の進捗が6カ月も理事会が開かれていないといった状況に加えて、具体的な計画が何ら示されていないのです。また、ペデストリアンデッキによる駅前広場整備についても同様です。再開発事業と一体であることによってのみ意味を持ち得るこれらの事業が先行することは、費用対効果が図られないばかりではなく、どれだけの市負担額であるかといった資金計画がないところでの多額の費用を要する公共事業への着手です。市民感覚からいって、到底納得できることではありません。 中央道八王子インター北地区基盤整備促進事業においても同様です。ほとんどを占める都有地に巨大商業地区を実現させようとするものですが、都を初めとした地権者との具体的な話し合い、了解、そして進出店舗の青写真等、何も煮詰まっていないところへの恣意的な公共事業です。そして、圏央道八王子北インターのフルインター化、北西部幹線の開通といった新たな公共事業を誘導するものであり、かつこういった環境整備がされて初めて成り立つ商業、流通業の活性化であるということを考えると、二重の意味において不透明な事業と言わざるを得ません。 産業振興は、これからの都市経営において重要な視点ではあります。幸いなことに、八王子には空洞化していない産業、農業、林業があります。産業振興の軸足をこういった実体のあるところへとシフトさせていくことが求められています。 ごみの有料化については、今までの自治体責任による廃棄物処理政策の大きな転換でもあります。指定袋の導入については、市民の理解はおおむね得られているとの判断ですが、果たしてそうでしょうか。今までに100回程度の市民向け説明会を実施して、これからは、1,000回以上もの説明会の中で、ごみの出し方等を説明しながら協力を仰いでいくということですが、今時点での市民の理解度は不十分です。1人1人のごみ排出抑制が必要で、ごみ有料化もその意味でインテンシブがあるとは言えますが、他の先行自治体の例もあるように、有料化のショックはそう長続きはしません。生ごみの堆肥化やプラスチックの回収等、資源化のためのさまざまな仕組みが用意されている必要があるのですが、ごみゼロ社会に向けての市としての取り組みが見えてきていません。戸別収集にしても、全世帯の4分の1が対象外という現状の中で、費用負担の公平性においても議論が尽くされていません。1,000回以上行うというこの説明会において、まさにごみ減量の具体的な長期計画をあわせて示していくことで、ごみ有料化の理解を求めることが効果を倍増すると言えるでしょう。その意味で、実施の先送りを要望いたします。 教育費についてです。先ほどもありましたように、学校配分予算については、もうこれが限界というほどまで削減されてきている一方、特色ある学校づくりの推進の中で、学校長の裁量権の拡大、市費による指導主事の増員は、教育現場に対する教育行政の押しつけを強めるものです。同時に、学力テストの実施及びその公表は、教育現場に差別を生み出すものでもあり、今抱えている教育課題への解決とは言えません。公教育の平等に対する反省が、何と公教育の否定への道を歩み出していると懸念されます。だれもが生き生きと教育を受ける権利があるということが保障されるためには、子どもたちと教師の信頼関係が第一であり、1人1人が大切にされているといった実感をベースにした教育活動があってのことです。しかし、今、教育現場には、命令と服従、こうであるべきといった押しつけ、不信感による監視が横行しています。また、開かれた学校と言いつつも、地域との連携で長い歴史があり、具体的な実践とその成果を上げてきている上長房分校の休校は、教育委員会が言っていることとやっていることの乖離を証明するものとなっています。1人1人が大切にされていること以上に効率が優先される教育になっていると言えます。 市民との協働をベースに費用対効果を考え、市民ニーズにこたえる予算編成と説明されていますが、説明責任が果たされていない公共事業の着手、ごみ減量に向けての全体計画が示されていない中でのごみ袋有料化、そして、効率を優先させ差別を教育に持ち込む教育予算、以上3点を指摘して、本予算に対する反対討論といたします。 【9番陣内泰子議員】 請願第8号、市立長房西保育園の民間委託に反対する請願に、賛成の立場から討論を行います。 この請願は、民間委託されるという情報に不安を持った保護者が、再三市側に説明を求めてきましたが、市側からは、何ら保護者に対し連絡をしない状態が続き、12月10日にやっと保護者側の要請で開かれた説明会の場で、市は公設民営にしていきたいという説明を行いました。話し合いの後半には、公設民営にしていくといった発言もあり、保護者たちがこの発言に反発、父母の会が結成されて、民間委託反対のもと1万筆以上の署名を集めて提出されたものです。決して何ら一部の情報操作や政治的な意図によって行われたものではなく、まさに子どもたちに安心できる保育の場を願う保護者たちの大きな働きによってこれがなされたということを改めて強調いたします。 この請願を審議するに当たり、まず、民営化の是非を問う前に、市側は大きな間違いを犯しています。というのは、公設民営の対象が保育園であることから、子どもを預けている保護者、そして、保育に当たっている職員等、関係者との充分な話し合いが持たれなければならないところ、市はその責務を放棄してきているのです。この方針は、10月3日の政策会議で決定されたということですが、その前も後も市側からの保護者の意見の聴取は何らなされていません。つまり、保護者の意見や要望、当該保育園の保育士等からの民間委託をするに当たっての問題点などが何らリサーチされないまま、まさに机上の論理で政策決定されたということに対し、大きな憤りを感じます。これが市民との協働をうたう市の姿勢とするならば、市にとって都合のいいところのみの協働で、そうでないところでは、一方的に市の都合を市民に押しつけるといったそしりも免れません。武蔵野市の場合は、保護者などの意見を取り入れた公立保育園のあり方を考える委員会での1年にわたる民営化の議論を踏まえて、保育知識や経験の蓄積と保護者の安心感を優先させて、民営化よりも、まず公立保育園として存続させ、2005年からの3年計画で改革を進めていくとの方針を出しています。 次に、民営化の是非をめぐってです。保育園の民営化に対しての議論が何らなされていません。また、市としてなぜ民営化が必要なのかといった根拠も広く市民に示されていません。今回の、1万人にも及ぶ民間委託反対の請願者にとって、保育園の民間委託が長房西保育園だけの問題ではないからこそ、これだけ多く人の関心と賛同を集めたと言えるのです。 委員会論議の中で、市側は公立保育園の全部を民間に委託する考えはないと説明しています。つまり、公立保育園としての必要性を充分認めているからなのですが、具体的な計画が示されているわけではありません。また、今、次世代育成支援推進法に基づく行動計画を立てることになっています。保育ニーズのアンケートも実施されているところですが、こういった計画の中で、保育所運営のあり方も検討されるべきであり、公立保育園の役割、民間保育園の役割等、明示されてしかるべきでしょう。その計画がまだ策定されていない現在、長房西保育園の民営化理由として、子育ての中で保育園の行っていない親子の支援、つまり、子育て経験のない親が育児書を頼りにして子育てしている不安をサポートし、虐待などをなくすようにするために子育て相談センターを強化していきたい、その人材強化として公立の保育士を充てる必要があるとの説明ではありますが、これは、何ら長房西保育園を民間委託する根拠にはなっていません。こういった子育てサポートは当然のことであり、取り組みとしては遅過ぎるぐらいと言えます。しかし、そのためにこちらの人件費を削ってあちらに充てるといった、同じパイの中での分け合いでは、未来の子どもをはぐくむ保育行政とは言えません。折しも国は、公立保育園の運営費の国庫補助金を一般財源化することによって、保育充当費を削減し、また、東京都も民間保育所への公私格差是正としてのサービス推進費補助の削減を提示しています。つまり、公立保育園に対する国の補助金の削減影響を民間委託によって少しでも減らそうとするものであり、さりとて民間保育園も都からの補助金削除で厳しい運営を強いられているといった、国を頂点とした保育予算の削減のしわ寄せの押しつけ合いであり、その影響を子どもたちはもろにかぶってしまうのです。 先日の朝日新聞の「私の視点」で、全国私立保育園連盟常務理事の○○氏は、公立保育園の民間委託を低コストでどんどん進めることが危惧されると述べ、民間保育園からも、今の民営化の流れに警告を発しています。市側は、民営化の根拠として、民間でできることは民間でと言いますが、保育の公共性に対する配慮からのこういった補助金のカットは、民間保育園での保育の質の低下をもたらすものとも言えます。つまり、パート保育士の多用によるローテーション勤務といった合理化が子どもと保育者との関係を不安定なものにし、また、保護者との連携も図りにくいといった弊害も出始めていると報告されています。本市の場合、82園の保育園中2割に当たる17園が公立保育園として運営されており、まさに民間保育園に支えられて保育サービスが提供されてきていると言えますが、その中での公立保育園の役割は、サービスの質を確保をするための基準づくりとして位置づけられるものであり、これ以上少なくすることは許されません。公の直営施設が存在し、行政が保育サービスの提供者として直接責任を負ってきたからこそ今の保育サービスの質があると言えるのです。志高く非常に充実した保育を行っている民間保育園がある一方、正反対の園があることも事実です。そういった中で、保護者にとって、そして子どもにとって安心できる保育の質とは何か、そのために何が必要かを検討する中での民営化論議でなければなりません。今回の請願があって、初めてそのような議論も始まったと言えるのです。 最後に、公立保育園の何園かを民間委託するとして、保護者を初めとした関係者との合意の方向性が出たとしても、実際に民間委託をしていく場合のルールづくりが必要であり、重要です。長房西保育園に在園している子どもたち、保護者は、既に保育士との関係を何年にもわたってその信頼関係を築き上げてきています。それを一方的に破棄することは子どもに大きな負担をもたらすだけでなく、心に傷を負う子どもも出てくる危険性があります。 子どもは適応力がありすぐ慣れる、移行も1カ月で充分などといった乱暴な論議がこの間の委員会の審議の中で出ておりましたが、長房西保育園を余儀なく転園した子どもの様子が保護者会のニュース等に載っていますので簡単に紹介いたします。その保護者は、余儀なくして長房西保育園から私立保育園に転園したんですけれども、その中でこのように述べています。「息子は、転園して1カ月ぐらいのころが拒否反応のピークでした。毎朝玄関で、西保育園へ行くと言って大泣き、出勤時間も刻々と迫っていたので、とりあえずだましだまし連れていくと、その保育園で担任の先生に西保育園に行ってもいいですかと泣きながら訴えていました。その姿を見て、私も涙がぼろぼろ。でも、もう西保育園には戻れないんだよと言い聞かせました。あのときが一番私も息子もつらかったのです。その後は、慣れたのか、あきらめたのか、西保育園のことは余り言わなくなりました。でも、かわいそうで、本当に後悔しています。人格形成の大事な時期に深い深い傷を負わせてしまったんだなと、自分たちを責める日々でした。なれ親しんだ建物、先生たちとの別れがどれだけ子どもの心の傷になるか、自分は経験上わかりました。園によって合うか合わないかあると思いますが、息子は、公立から私立に転園して1年たった今は、あきらめたのか本当に何も言わなくなりましたが、親の都合で息子を転園させたことを大変申しわけないことをしたと思っております。私たち夫婦も、転園してみて、どれだけ西保育園がいい保育園だったか、身にしみてよくわかりました。西保育園の子どもたちには、私の息子みたいな思いはさせたくありません。しかも、行政の都合だなんて絶対に許すことはできません」、こんなニュースが保護者の会のに載っています。このように一方的な転園については、民間委託、そして環境の変化に対しては、配慮をしなければならないということがこのニュースから伝わってまいります。 このように、公立保育園で、また、公立保育園であるということで、長房西保育園を入園の際に選択している方々も中にはいらっしゃいます。また、そのような場合、途中での運営形態の変更は契約違反とも言えるのではないでしょうか。さらに、新年度からの入園に対しても情報公開されていないのであるならば、現在の在園児が卒園してからの変更、また、新入園者に対しては、運営形態が変更になることの情報が提供されるべきではないでしょうか。つまり、民間委託への準備をどうしていくのか、そのルールが保護者を含めた関係者でつくられていかなければならないのです。しかも、今回の民間委託決定に当たり、こういった移行準備のルールは何ら具体的になっていません。示されているのは準備期間に6カ月程度をかける、お母さん方が不安にならないように、それを取り除くように努力する、一斉に保育士を引き上げるようなことはしない、延長保育はしないなどということが断片的に語られているだけです。これでは、保護者の納得は到底得られないのではないでしょうか。 以上、3点の理由から、長房西保育園の民間委託に反対し、この請願に賛成の討論といたします。 【9番陣内泰子議員】 無所属、会派に属していない陣内泰子です。通告に従いまして、一般質問を行います。 小学校、中学校の卒業式が終わりました。ことしの卒業式は、昨年までの卒業式と違って、大きくさま変わりしています。我が子のときとも随分違っていることに大変びっくりいたしました。私の子どもが小学校を卒業したのは1996年です。このときの卒業式はとてもよく覚えています。卒業式の主役は子どもたちでした。壇上には子どもたちの似顔絵が飾られ、子どもたちは晴れがましい顔で壇上正面から登場し、拍手で迎えられながら席に着きました。在校生も先生も、そして校長先生も同じフロアです。 そして、同じフロアで卒業証書を受け取り、呼びかけが始まりました。みんなに包まれているといった感じで、温かく卒業を祝う空気に満ちあふれていたのをよく覚えています。1人の保護者として、子どもの成長を喜び、温かく見守ってくださった先生方に感謝の気持ちでいっぱいでした。フロア形式の卒業式がいかにも小学生らしく、子どもたちにとってもいい思い出となっています。私は、こういった卒業式が子どもたちと先生方でつくられ、皆で喜び合う、そんなプレゼントに感謝している1人です。 しかし、こういったフロア形式の卒業式がことしの卒業式からは影を消してしまいました。各学校の特色も何もありません。どの学校も同じように壇上に日の丸を掲げ、ピアノ伴奏による君が代斉唱を行っていると思います。教職員、児童、保護者は起立して歌うことを強制されています。また、教職員の方々は式にふさわしい服装でといった事細かな指導も入っています。 こういったことが学校現場で起こったのは、昨年9月22日に出された1通の教育長名による通達によるものです。この通達については、これまでも議会の中で撤回を求めて議論がされてきましたが、卒業式を終えて、その影響力の大きさに改めてこれが教育の場のことかと心穏やかではありません。愛国心があれば、国旗を敬い、国歌である君が代を歌うのが当たり前、それが愛国心であるといった考えは1つの価値観の押しつけです。 私自身、戦争のときに日の丸を掲げてアジアに侵略していったことの反省がないままでの日の丸掲揚が教育の場に持ち込まれることに大きな危機感を感じています。また、現在、イラクへ派兵された自衛隊が同じように日の丸を掲げて戦場にいるのです。しかも、国民主権を掲げる憲法のもとで、戦前天皇の統治を永遠にたたえる歌であった君が代を歌うことに違和感も持っています。日の丸、君が代に対して、さまざまな立場があります。さまざまな思いがあります。1通の通達によって、八王子の小学校の卒業式が一変してしまう。なぜならば、従わない場合、職務命令違反で処分もあり得るという内容になっているからです。 今までの議論の中でも、再三疑問が呈されていることですが、再度なぜこのような通達を出すに至ったのか、その経緯と根拠をお示しください。 また、職務命令として取り扱うことができる事項なのかどうか甚だ疑問であることから、職務命令とした根拠、そして、それに従わない場合処分できるといった根拠を御提示ください。 そして、教育委員会でこのようなことが審議されたのでしょうか。 日の丸、君が代が学校現場に持ち込まれるようになったのは1989年の学習指導要領の改定のときで、特別活動のところにその記述がありますが、壇上に飾らなければならないとか、君が代をピアノ伴奏によるなどとは書かれていません。学校現場での先生方、子どもたちとのさまざまな卒業式、入学式に対する取り組みの中で、独自にそれぞれが実施されてきています。だからこそ、我が子の卒業式や入学式において、日の丸、君が代が強制されるといった強権的な対応が排除されていたのです。三脚で国旗を掲げる、歌うことが強制でないということをアナウンスするなど、現場での妥協策が探られてきたと言えます。 1999年には、国歌国旗法が成立していますが、これは国旗を日章旗、国歌を君が代と定めた定義法にすぎず、政府答弁でも、国旗掲揚等に関し義務づけを行うことを考えてはおらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化も生じることはないと考えているとなっています。これまで卒業式、入学式での日の丸、君が代の取り扱いについて、都教育委員会へ報告されていると思うのですが、どのような実施状況だったのでしょうか。私が保護者として出席した1996年以降現在に至るまでの報告された状況についてお答えください。 また、先日、東京都教育委員会は、都立高校の卒業式に際して、都が出した同様の通達に従わなかった学校名を公表するということが新聞報道され、また、各市町村教育委員会にも同様にするよう指導するとなっていますが、本市にもそのような指導は都から来ているのでしょうか。 そして、今年度のこの通達を発しての卒業式、どのように総括されたのでしょうか。 これで第1回目の質問を終わります。 【永関和雄教育指導担当参事】 御質問にお答えをいたします。 これまで大変温かな雰囲気の卒業式であったものが、昨年出された通達により一律なものになってしまった、その通達を出した根拠は何かというふうな御質問でございました。まず、法的には、学習指導要領におきまして、我が国の国旗を尊重する態度を育てるように配慮すること、また、国歌を斉唱するように指導するものとすると明記されていることはございます。また、学習指導要領の儀式的な行事、学校にはクラブ活動だとかというものの中で、学校行事というのがございまして、学芸的な行事とか、健康安全的な行事とか、いろいろあるわけでございますけれども、その中の1番に、儀式的行事というのがございます。 その内容でございますが、学校生活に有意義な変化や折り目をつけ、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機づけとなるような活動を行うことと、このように示されております。先ほどの子どもたちの温かい活動というのも確かに大事なものだと思います。ただし、この儀式的な行事、まさに卒業式、入学式はそれに当たるわけでございますが、その中では、厳粛で清新な気分、これを子どもたちに味わわせるというのが内容でございます。 もう1つ現状といたしましては、子どもたちが、例えば国歌を歌うことができない、少なくとも美しく歌うことができないという現状もございます。このような事態になっている中で、教育委員会は、学習指導要領の趣旨に基づいて、日の丸を壇上正面に掲げ、国歌をピアノ伴奏で斉唱するということが最も適正な方法であるというふうに判断したわけでございます。 また、そういったことを命令できるのかということでございますけれども、学習指導要領によって命令をするというよりも、学習指導要領の趣旨を実践するのは校長の務めでございます。校長が、自分の学校の式の目的から考えて、この方法にするということを職員に命ずる。これは、校長の権限でございまして、いわゆる職務命令でございます。その命令に背くということは、これは公務員として当然処分もあり得ることだというふうに御理解をいただきたいと思います。 平成8年から現在までの実施状況、どのように報告をしていたのかということでございますが、1996年とおっしゃいましたが、これは平成8年になると思いますが、平成10年度以前のものにつきましては、文書保存の年限の関係で確認はできません。ただ、平成11年度の卒業式では、国旗掲揚につきましては、小中学校とも100%でありました。しかし、国歌については、斉唱しない小中学校が16校ございました。平成12年度の調査からは、現在まで国旗掲揚、国歌斉唱とも数字上は100%になっておりましたが、昨年度の状況でも、国旗を正面壇上に掲揚しない小中学校が42校、国歌斉唱時にピアノ伴奏を行わない小中学校が56校ございました。このような形で報告をしております。 学校名の公表をすると都教委は言っているけれども、市教委はどうなのか、そういう指導があるのかという御質問でございますが、指導ではなく、依頼はございました。しかし、それとは別に、本市におきましても、卒業式入学式対策本部の中に調査委員会を設置いたしまして、通達に従わなかった学校名を公表することとしております。 それから、撤回する気はあるかということでございますけれども、撤回はいたしません。 そして、総括でございますが、本年度は国旗の正面掲揚は全校で行われました。国歌の斉唱も行われましたが、1校だけピアノ伴奏ではなくテープであった学校がございました。ただ、全体的に見まして、大きな進歩があったというふうにとらえております。 【9番陣内泰子議員】 御答弁いただきました。まず、学習指導要領の定めによる、それが大きな根拠というお話でありました。しかしながら、学習指導要領は法的強制力があるとされていますが、これについてはまさに教育法曹界や司法の世界でも争いがあることは御存じだと思います。教育基本法第10条で、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべき」であり、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」とされています。卒業式、入学式の式次第を事細かに指導してきている今回の通達は、まさに教育行政の教育現場に対する介入としか言いようがありません。 また、旭川学力テスト反対闘争訴訟において、最高裁の大法廷判決でも、教育内容に関する国家介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるというふうになって、このようにまだこの問題について学習指導要領の法的強制力については諸所問題があると言われています。つまり、旗を上げるか上げないか、礼をするかどうか、歌を歌うか歌わないか、これはまさに憲法19条で保障されている思想、良心の自由のもとで運用されなければならないことなのです。 また、憲法13条で、すべての国民は個人として尊重されなければならないとされています。職務命令について、上司である校長の言うことを聞かないのは、組織である以上制裁の対象になるとの見解でありましたけれども、教育公務員としての教師の公共性というのは一体何なのだろうかと考えます。校長に従うことが公務員としての公共性とは言えません。教師は、子どもたちに対して教育活動を適正に行うことがその公共性のゆえんであります。教師は、イデオロギー的教化を行ってはならないのと同時に、校長は教師を利用して子どもたちにイデオロギー的教化を行わせてはならないと、早稲田大学教授で憲法学専攻の○○氏は言っています。今回の通達は、教育行政の不当な介入以外の何物でもないと考えます。今撤回はしませんというお答えでありましたが、ぜひ入学式に関しては撤回するように求めます。 また、今回の御答弁以外にも、校長は社長であり企業なら社長の命令に従うのは当然であるというお話も伺っております。しかし、教育公務員としての教師の職務は、先ほども述べましたように、公共性を持っていることであり、それは子どもの人格の完成という教育目的に関して責任を持つということであって、校長の命令に従うことではありません。企業の社長は何に対して責任を持つかといえば、一義的には株主に対しての責任を持つのです。だから、社長の方針によって業績不振という結果になれば、その責任を負わなければならないのは明らかです。 では、校長の命令は何に対しての責任を持つことを意味しているのでしょうか。それは、公教育であれば、国民に対しての責任です。法規に従うのが責務とはいっても、学習指導要領の法的拘束力に対しては論争があり、また、国歌国旗法においても、その取り扱いの指示はありません。よるべきものは教育基本法であり、憲法であることは明らかです。そして、そのいずれにも校長は教師に対して命令できるということは書かれていません。学校教育法では、戦前の校長の命により、児童の教育をつかさどるといった記述から、校長の命が排除されてきた歴史もあります。校長が日の丸、君が代の卒業式、入学式での取り扱いに対し、職務命令を出し、それに従わない場合には処分もあり得るといった教育委員会の通達の根拠はどこにも見当たりません。よって、このような今回の通達に基づく処分があってはならないのです。 保護者、子どもたちの思想、良心の自由の保障についてです。さきの議会での議論の中でも、子どもたちは、教師から今回の通達に従うよう指導されて当然であり、保護者においても、内心の自由はあるが、学校の式に参加し、多くの場合、我が子が参加している式にぜひ協力していただきたい、国歌斉唱のときには御起立を願いますというのは、学校として至極当然のことだろうと答弁されています。しかし、子どもたちが指導されるのは通達に従うことではなく、日の丸の歴史性や君が代の意味、世界の中での日本のあり方などを学ぶことではないでしょうか。 国家とは極めて政治的なものであることを理解し、どう判断するかということは個人に帰するものなのです。政治や宗教、ナショナリズムといった問題について、何が正当であるべきかということは何人も決めたりすることはできませんし、それらに関し、みずからの信念に基づき行為をしたり、その信念を書いたり行動で表現したりすることをだれも抑制することはできないのです。だからこそ、さまざまな考えがあることを教える教育の場において、こういった政治的判断が持ち込まれることは極力排除しなければならないことだし、持ち込まれれば混乱となることは目に見えているのです。 1989年の学習指導要領の改定のときに、卒業式、入学式に日の丸、君が代を強制しないでくださいといった署名を集め、校長に届けました。強制されることに対する異議申し立てです。今回の卒業式でも、起立と言われたので立ったけれども、歌わなかったといった保護者の方も多くいらっしゃいます。これは、いけないことなのでしょうか。愛国心がないことなのでしょうか。子どもたちにおいても同様です。いろいろな学びを通して、日の丸、君が代に対して、それが自分たちの卒業式で強制されることに反対であるといった意思を持ってはいけないことなのでしょうか。子どもたちは未熟でいつも教えられなければならないだけの存在ではありません。子どもの権利条約にも記されているように、子どもたちの意思表明権についてはどのようにお考えでしょうか、お聞かせください。 次に、今回最終報告が出された教育改革アクションプランについてお伺いいたします。今求められている八王子の教育改革と題された最終報告の中で、校長の裁量権の拡大とリーダーシップの強化が明記されています。こういった上からの指導で、教師の自発的な教育に対するインセンティブを引き出せるとは思いません。しかも、今回、都教育委員会の人事制度の改正で、校長に教員の人事権が実質的に移っていっております。学校経営方針に基づく人事構想によって異動させるというものですが、そのようにして実施していく学校経営方針の成果とは何によってはかるのでしょうか。確かな学力、このような項目を学校経営方針に掲げてあるとするならば、それは学力テストの点の比較によってはかるのでしょうか。この点もお答えください。 それと、先ほど今までの日の丸、君が代に対する実施報告が御報告されましたが、昨年の平成14年度、昨年は100%の国旗掲揚、そして、君が代斉唱でありました。御報告にもあったように、細かく見るならば、式場会場での正面壇上での掲揚以外に、式場会場内の三脚や式場会場内での掲揚がある。それに対して、それは42校という御説明でありましたけれども、基本的にはどの学校でも掲揚されている。君が代が斉唱されている。そのような事実に対して、どうしてこれほどまでの強権を持って臨まなければならないのか甚だ疑問です。それについてもお答えいただければと思います。 これで第2回目を終わります。 【永関和雄教育指導担当参事】 まず、法的なことでございますけれども、校長が職員に命令をすることができるのかということでございますけれども、これは当然できます。これは、職務上理の通っている学習指導要領に基づいていることでございますので、学校教育法第28条「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」この中に監督という中には、指示命令ができるということも含まれております。ですから、校長がきちっとした法令のもとに基づいた学習指導要領によって命じたものにつきましては、当然命令ができるというふうに思います。 学習指導要領が法令としてどうなのかというふうなこともございましたけれども、学校教育法施行規則第25条、小学校の教育課程については、この節に定めるもののほか、教育課程の基本として文部科学大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとするというところがございます。これは小学校と言っておりますが、中学も同じでございまして、これによって、学習指導要領は法的に位置づいているということでございます。 そういったものの中で、校長が十分にリーダーシップを発揮する。先ほど社長とは違うということがございましたけれども、組織という意味では、例え話として社長というふうなことを申し上げたわけでございまして、どんなものでもいろいろな人がいろいろなことを言っていると、船頭が多いというのがありますけれども、まさに学校も組織として進めてまいりますためには、校長のリーダーシップというものはそういう意味では重要なものというふうに考えております。 あと内心の自由でございます。内心の自由でございますけれども、これにつきまして、いろいろ言うことは教育委員会の不当な介入ではないかというふうなことがございました。内心の自由につきましては、確かにこれは全部の国民にあるものというふうにとらえております。しかし、法令に従って、これが適切であるというふうなものを指導するということは、内心の自由を侵すことにはならないというふうに考えます。 特に子どもにつきまして、子どもにも内心の自由はございますが、ただ、まだまだ発達途上でございますので、さまざま正しいことを示しながら指導していくというのが教育でございまして、子どもの自由だからといって、例えば楽しい式が一番だからといって、子どもの一番楽しい形でもって卒業式をやっていると、いつまでも内容として示された厳粛で清新な式にはならないわけでございます。それを指導していくところに学校がありまして、だからといって指導すると、子どもの内心の自由を侵すのかということにはならないというふうに考えております。 保護者につきましても、もちろんそれぞれいろいろなお考えがあるわけでございますが、学校というところでその教育の目的に沿った行事をしているわけでございますので、繰り返しになりますけれども、それに御協力を願いたいということは決して内心の自由を侵すことにならないし、保護者がたとえそこで座られたとしても、それをとがめるようなことはしておりません。ただし、教職員は校長の命により校務を執行しているわけでございますので、これは自分がどう思おうと、そこで立ちなさい、歌いなさいという命令が出たらば、それに従わなければならないという義務を負うものだというふうに考えております。 校長の人事権について、異動要綱の改正でどんなものが得られるのかという御質問がございました。校長が経営者として人事構想を持ちながら、教員さまざまな意見がありますが、それを聞きながらもしっかりとした決定をして、確かなリーダーシップを発揮しながら特色のある学校づくりを推進していくということ、それは学校が組織としてやるべきこと、その中には、先ほどおっしゃいましたように、子どもの学力を上げることはもちろん入ります。社会性、豊かな心情、そういったものをつくっていくわけでございますけれども、そのことが校長がリーダーシップを持つということによってより明確になり、教育力やさまざまな課題への対応力も向上し、それが地域からの信頼も高めることになる。そんなふうに考えます。それが成果ではないかというふうに考えます。 【9番陣内泰子議員】 今校長は教師を監督する、それによってこのような職務命令を出すことが正当化されるという御答弁がありましたけれども、しかし、その職務命令そのものが違反であった場合にはどうするのでしょうか。その点についても、今回の問題、このようにまさに政治的な問題、ここにあるんですけれども、「政党政治のもとで、多数決原理によってされる国政上の意思決定はさまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的営みとして党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきものでない。教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えると、教育内容に対する学習指導要領による国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」。これは先ほども申しました旭川の学力テスト反対闘争訴訟での弁論ですけれども、このようにも言われています。 そして、あわせて学習指導要領の法的拘束力についてもお示しがありましたけれども、今のような教育の場に政治的な介入を持ってくることそのものに対して問題を呈し、そして、最少限度にとどめるという大綱的なものとしてこの学習指導要領を見なければならないという意見もあるということも、先ほども申しましたけれども、あわせて追加しておきます。 保護者は立たなくても、それは何ら処罰の対象にならない、内心の自由がある、そのような御答弁でした。しかし、教員及び子どもたちにはそれはないということですけれども、これはまさに教育の場に、ある一方的な価値観が導入されたことのあらわれと言えます。自国の国旗に対して起立しなかったり、国歌を歌わなかったりする、そういう子どもが育っていく。それをとても遺憾に思う。そのような御答弁でありましたけれども、しかし、果たしてそうなのでしょうか。 本当に必要なのは、子どもたちが自分の頭で考え、自分の意見を表明することです。子どもたちの意見の表明を認めない、そのような御答弁でもありました。つまり、正しく教育されれば、国のやること、教育委員会のやることに対して、何ら批判的な意見や行動はあり得ないという押しつけに聞こえます。そして、今の教育現場でのさまざまな諸問題を引き起こしている原因が、このような押しつけではないでしょうか。 イラク派兵に反対すること、これも正しく教育されていないことに起因するというのでしょうか。子どもの主体的な成長発達を保障するための意見表明権こそが子どもの権利条約の根幹をなしていることを改めて強調いたします。子どもたちにも、意見を表明する権利があります。そして、教員にも、自分の思想信条を守る、それを表明する権利があります。 さて、校長の裁量権の拡大についてです。学校経営の権限を校長に集中させることは、学校経営方針という実態のないものによって、教師の異動や教育内容が左右される道を開くものであり、非常に恣意的になりやすい。校長といえども、好き嫌いや、性格的に合う、合わないといったことも当然あるでしょう。そして、そのカムフラージュとしての学校経営方針が使われないとも限りません。そして、学校別の学力テストの公表という唯一比較可能な教育の数値化が求められるのも目に見えているようです。 先日の中学の卒業式で、先生方が、時に励まし、時にはしかりといって自分たちのことに心をかけ、見守ってくれることに対しての感謝の言葉を生徒たちが述べていました。まさに教育の場とは、生徒と教師の信頼関係で成り立っていると言えます。そういった現場の先生たちをサポートするのが校長であり、また、教育委員会の役割ではないでしょうか。今回指導主事の増員が予算化されましたが、教育行政の一層の強化につながるおそれがあります。 昨年9月の教育委員会の定例会で、日の丸、君が代の指導について、教育委員会として授業参観するといったことも話し合われているようですが、これも露骨な教育行政、管理行政の教育への介入と思われます。また、この八王子の教育改革の冒頭で、こんな大人になってほしい、こんな八王子市民になってほしいと望む市民からの期待にこたえるべく、問題解決への方向性を見出していくと述べていますが、これは市民からの期待である以上に、教育委員会の期待ではないでしょうか。八王子の教育改革を通じて、一体どういった学校運営を目指し、どんな児童像、生徒像を期待するのでしょうか、お答えください。 しかし、教育とはさきにも触れたように、人格の完成を目指すことを目的に、自分自身で考え、それを表明できる子どもを育てることです。その意味で、多様であることが大前提です。こうあってほしいといった一定の価値観を押しつけるものであってはならないことを強調して、一般質問を終わります。 【永関和雄教育指導担当参事】 市が教育改革を通じて、校長のどのような指導のもとで、どんな子どもたちを期待しているのか、教育目標についてのお尋ねでございました。 まず、校長のリーダーシップというのを何度も申し上げておりますけれども、組織体として、学校が一つの方向性を持って地域やあるいは保護者、そして子どもたちの願いを実現するような形で、どう学校を運営していくのかというのを校長のリーダーシップのもとでもって進めてまいりたいというふうに思います。 そして、八王子市の教育目標は、子どもたちが知性や感性、道徳性や体力をはぐくみ、人間性豊かに成長することをうたっております。4つの視点からこれは示されておりまして、子どもにもわかりやすくなっております。あふれる元気、これは心身ともに健康で生き生きとした人をつくろう。輝く心、これはみずから学び考え、知性と感性を高めようとする人。仲間とともに、互いの人格を尊重し、思いやりと規範意識のある人。はばたけ未来へ、積極的に自分を高め、社会の向上に貢献しようとする人。こういうものを目指しております。 卒業式のことで、型にはめるというふうなこともございましたけれども、学校というのはいろいろな場面があります。儀式的な行事のような場面の中では、まさに大人として通用し、また国際社会の中でも通用するように国を思う気持ちを養うということも、これは当然大事なことでございます。そのための国旗国歌というのも一つの型として教えることも大事だというふうに思います。学校というのは、さまざまに子どもに考えさせるような機会ももちろん大事でございますけれども、きちっとしたものを身につけるという、いわゆるしつけの部分もこれは大変重要な部分でございまして、今後とも総合的に子どもたちに生きる力がつくように指導してまいりたいと思っております。 <ページトップへ> |